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【読みもの】ムラマツフルートの魅力と歴史。

2022/05/30 06:40:54

こんにちは、こんばんは、ごきげんよう。ブラステック白山の丸七です。

「丸七、お前サックスの話しかできないのかよ、、」

なんて言われそうなので今日は日本のフルートの祖、ムラマツフルートのお話でもさせていただきましょうか。笑

実はこう見えてフルートも大好きなんです。

フルート吹きな方はもちろん、そうじゃない方も是非読んでみてください。



<目次>

フルートの歴史

まず、、フルートという楽器の歴史は圧倒的な紀元前に遡ります。

当時の楽器の演奏は「芸術を楽しむ」という観点ではなく「祭事」「儀式」などのために奏られていました。

アマゾンなどに住む一部の現代文明との接触を行なっていない原住民の方々は今でもその様にして音楽と暮らしています。

フルートは今でこそ金属で作られていますが元を辿りに辿ると大きな鳥の骨で作られていたそうです。

調べた資料によると40,000年前に作られたシロエリハゲワシの翼の骨で作られたフルートが世界最古のフルートであるという説があるとのこと。

この件については「Nature」誌オンライン版に掲載されています。

その後はフルートは象牙や木材などで作られ楽器として、時には王室への献上品、宝飾品としてその確固たる地位を確立させてきました。

宗教や王室お抱えのオーケストラなどの中でフルートは長い時間をかけて現代のフルートへと進化していきます。

19世紀に入ると現代のフルートとほぼ同じ様なスタイルが完成します。

そして生まれたのが伝説的ヴィンテージのフルート「ルイ・ロット」です。

ルイ・ロットや芸術家のピカソのアトリエもあったフランス、モンマルトル。



ルイ・ロット。フルートにおいてツウな方なら一度は耳にしたことがあるだろう名前です。

いわゆるルイ・ロットと呼ばれているはフルートの多くはフランスのモンマルトルに工房を構えたルイ・ロット氏の手仕事で作られました。

ルイ・ロットは多くのフルートメーカーが敬意を表するほど素晴らしいサウンドを持ち合わせていました。

今でも多くのフルートメーカーがルイ・ロットから多くの良さを参考にし、自社のフルートの良さに活かすためルイ・ロットをについて研究しています。

村松でもルイ・ロットの素晴らしさを参考にしている部分があります。

私は以前、ムラマツフルートの工場に1週間ほど修理技術習得のための修行に訪れたことがありました。

その際にフルートの頭部管を作る専門技術者の手仕事を見学させていただいたのですが歌口を削る際に部屋の真ん中に立ててあるルイロットの頭部管を吹いて、自分の削っている頭部管を吹いて削り、、という加工をおこなっていました。
その理由を尋ねてみたところ、

「良いものを知る、良いものに触れることで、良いものが作れるから」

と言うとてもとても深い言葉をいただきました。
過去の偉人の手仕事を知っているからこその今の世の中で最高のフルートを作ることができるのです。

世界各国にそれぞれの音楽文化がある様にフルートにもその国の音楽文化が反映されたものがあります。

フランス、ウィーン、ドイツなどなどそれはそれぞれです。

しかし日本はどうでしょう。

ヨーロッパ人から見れば、ムラマツ創業時の日本のクラシック音楽は未成熟。ましてや当時の村松フルートは東洋のちっぽけな島国で作られている価値の定まらぬ楽器にすぎなかったはずです。
しかしそんな村松フルートは今日では世界中で求められている最高の笛となっているのです。
高い評価を得ているムラマツフルートの歴史を紐解いてみましょう。



ムラマツフルートの歴史

ムラマツフルート(村松フルート製作所)は1923年に村松孝一氏が創業しました。

創業者の村松孝一氏 出典:株式会社 村松フルート製作所 ホームページより


今でこそ世界のムラマツと呼ばれていますが当時は東洋の小さな国で作られている名を知られていないフルートでした。
その仕上がりも今のムラマツフルートとは比べることができないほど差があり、世界のトッププロの奏者に吹いてもらえる機会すらなかったとのではないかと思います。

しかしいい仕事を行うとそれは正しく人の目につき、自然と知れ渡っていきます。

村松孝一氏は東京生まれ。幼少より画家を志していたが、軍隊に入らなければならなくなったとき「少しは絵も描けるだろうし、音楽が絵の上にプラスになる」と考えて軍楽隊を志望しました。

軍隊ではコルネットを吹きはじめたが、ここで演奏者としては満足できずに楽器製作の道を考え始め、軍楽隊のすべての楽器の修理を手がけました。

ここからムラマツフルートの歴史は始まります。

1923年に除隊し、フルート製作を始めました。

この頃の日本のフルート人口はプロ・アマあわせて20名ほど。楽器販売で生計を立てることは不可能だったため、映画館でサイレント映画の伴奏楽師として働いたりペンキ看板を描いたりして報酬を得ながら楽器を作るための機械を購入し、フルート製作を行ったそうです。

修理の経験があるとはいえ製造方法など知らなかったため、翌年最初の楽器が完成するまでに1000時間を費やしたそうです。そして完成したのが日本製フルートの第1号です。

1927年頃には映画は有声映画へ進歩し映画楽師という仕事は無くなりました。映画の仕事がなくなった孝一氏は別の副業として楽器修理を始めました。

1931年頃、サックス奏者の津田功氏が村松孝一氏にフルートの製作を依頼して購入したのが孝一氏の製作2本目のフルートでした。

初期の材質は真鍮または洋白を使用していましたが、1932年頃吉田雅夫の依頼により初めて銀製で頭部管を製作しました。

これはフォークやスプーンなどの銀食器を集めて溶かし製作したものでした。

なお今でもヴィンテージ思考の強いフルート製作家はアンティークの銀食器を溶かし銀材にしてフルート製作を行うそうです。それは当時の銀は金属の生成技術が低くいろんな不純物が混じっており、その不純物が楽器の音色に良い影響を与えるということがわかったからです。

時が流れ第二次世界大戦が始まりました。

戦争の影響により軍楽隊での楽器の需要は増大し、1937年に日本管楽器製造株式会社 (現YAMAHA)が設立されて軍隊向けの楽器を製作し始めたが、当時のヤマハはフルートを作ることができませんでした。そのためYAMAHAは孝一氏に協力を依頼しました。孝一氏はニッカンで技術協力をしながら,自身が製作した楽器は一般向けとして販売しました。

1940年頃には工場全体で10名ほどの職人を有し、1ヶ月に70~80本のフルートを作っていたそうです。

1943年以降の金属統制令の下でも、手持ちの材料で細々と製作を続けていたと言われています。

1951年、代理店を通した「プリマ・ムラマツ」ブランドの販売が軌道に乗り工場の規模を拡大しました。

一方で直接楽器店に卸す「ムラマツ」ブランドも平行して旗揚げしていました。

これらは刻印だけの違いで楽器自体は同じものでした。

1956年にはフルート製作が1万本に達し、マスコミでも大きく取り上げられたのです。

フルート製作 1万本記念 出典:株式会社 村松フルート製作所 ホームページより

その後、孝一氏の作るフルートはその性能とクオリティが高く評価され多くのフルート奏者にその評判が知れ渡りました。

これの背景には吉田雅夫、マルセル・モイーズ、ジュリアス・ベーカー、ジャン=ピエール・ランパル、オーレル・ニコレなど数多くのフルーティストによる協力がありました。

ムラマツフルートオフィシャルのヒストリーにこんな記述があります。

村松の進化〜世界のプロとの対話〜

現在ではほぼ毎日のように日本のどこかで開かれる『フルート・リサイタル』であるが、それは、まだ「笛一本でリサイタルを開くとは…」と笑われるような時代の日本で初めてフルート・リサイタルを開催したフルーティスト、ジュリアス・ベーカー氏の功績である。

村松フルート二代目社長・故 村松 治を始めとするスタッフは、ベーカー氏のリサイタルを成功させようと、ベーカー氏との打合せから始まり、伴奏の手配、チケット販売、練習場所探しに至るまで、何しろ初めての試みに東奔西走し、やがて迎えた本番当日にはほぼ満員の聴衆を迎える大成功となった。ベーカー氏は来日中、ほぼ毎日のようにムラマツの工員たちに会い、楽器について、「ヤスリやロウ付けの細工は良いが、楽器としての雰囲気がない。これでは音は出ても、フルートの音は出ないよ」とさんざん酷評しながら、うるさいほどの指導を行った。ベーカー氏の熱心さは大変なもので、部品の一つ一つから頭部管の絞り方、世界の音楽界の話などをしてくれた。その甲斐あって、ベーカー氏の帰国までに彼の希望するようなフルートが完成し、帰国後彼はそのフルートを持ってアメリカ、ヨーロッパを周り、ランパル、ニコレ、デボスト、ツェラー等々、世界中のプレイヤーがムラマツ・フルートを知ることとなった。ベーカー氏の教えはもちろん笛作りだけでなく、本業である演奏技術面でも日本のフルート界に与えた影響は大きく、レベル向上に寄与した。

 ニコレ氏は、初来日リサイタルの際、それ以前に注文していた金製フルートの仕上りを見るために工場を訪問した。新しい笛を手にして、音の響き、スタッカート、レガート、アルペジオなど、いろいろな方法でテストをした。また当時は洋白製フルートを吹いていたニコレ氏は、金製フルートを来日中に完全に自分のものにしたいと要望し、様々な曲を吹きながら、自分の求める音、響き、表現力などを説明した。また工場スタッフたちに合奏をしようと申し出、聞いただけでは理解できない、音程の取り方、抑揚、音の発展性など音楽と楽器との関係について多岐にわたって教えた。

 彼ら偉大なフルーティストたちからの多大な協力を得ながら、これまでに、ピッチ、スケール、テーパー、メカニズム等の改良を加えた、幾度とないモデルチェンジを経ながら、「フルートとは何か」を創業以来問い続けてきた。現在も日々研究と実験の試行錯誤を繰り返し、より良い笛作りを目指して作業を続けている。『ハンドメイド』の基本は決して忘れることなく、手作業品質を凌駕可能な部分には最新機器をバランス良く導入し、ベーカーが語った『楽器としての統一感』、ニコレの言う『音の色彩、イントネーション』、ランパルから聞いた『音の立ち上がり』、モイーズによる『音の命』……、プレイヤーたちとの交流を経て繰り返される研究と改良は現在に至るまで連綿と受け継がれ、決してとどまる事はない。

______________________出典:ムラマツ・ヒストリー『そして、「世界のムラマツ」へ。』より

フルート製作へのこだわりと技術の精度

専門の工具を駆使しフルートの調整を行う村松フルートの技術者。

私も一人の技術者としてムラマツフルートを見るたびに感じさせ得られることがあります。

それはこだわりにこだわった楽器づくりの精度です。

一般的なフルートメーカーではキイを大量生産し、適当に割り振って楽器を組み上げています。

これだとキイの大きさに若干の個体差があり、キイを管体に組み込んだ際にキイとポストの間に隙間空いたりしてしまいます。

その隙間は楽器の鳴り、響きを邪魔してしまうのです。

しかしムラマツフルートはどうでしょうか。

社会に出たてのビギナーリペアマンでは分解したら組み立てられないほど管体とキイがジャストフィットする様にキイを削られています。

これは前途の「大量生産」ではなく「この管体に合わせてキイを一つ一つ作り上げる」という点についてこだわりを持ってただひたすらハンドメイドで作っているからこその賜物なのです。

ムラマツフルートは一番お求めやすい価格のEXモデルで¥298,100最高級なプラチナ製のモデルで約¥12,000,000(時価)となっております。

その差はなんと約11,701,900円です。

しかし実はこの金額差は楽器に使用される材料費の違いだけで、製造にかける手間暇、技術量は全く変わらないのです。

どのモデルを選んでもその素材においての最高のハンドメイドモデルを製作しているのがムラマツフルート。

このフルートへのこだわりこそが世界で愛されるムラマツフルートの所以なのです。

石川県の正規村松フルート特約店

ブラステック白山の運営元である(株)開進堂楽器 は北陸の地において古くからムラマツフルートの正規特約店としてムラマツフルートを販売してきました。

さらに正規特約店の中でもムラマツフルートで技術研修を受けて認定され現役の技術者は石川県では

・ブラステック白山 丸七夏樹(まるしちなつき)

・ブラステック金沢 脇坂彩夏(わきざかあやか)
(*金沢店は技術対応のみ、在庫の展示はございません。)

の2名しかおらず、石川県のブラステック各店に所属しております。

またムラマツフルート修理などに使う純正のパーツは技術研修を修了し認定された技術者の在籍する特別な特約店でしか取り扱うことができません。

メンテナンスやリペアについてはもちろん、ムラマツフルートに関するいろんなこと、丁寧にお話しさせていただきますので御用の際は是非当店ブラステック白山/金沢をご用命ください。

なおブラステック白山ではムラマツフルートの展示もございます。

ご購入の際の試奏も感染症対策を行った上でお試しいただくことができますのでご希望の方はご連絡、または店頭のスタッフまでお声掛けください。

皆様のご来店をお待ちしております。

ムラマツフルート EXシリーズとGXシリーズの比較 Blog

Written by
Natsuki Marushichi

ブラステック白山

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お問い合わせ
076-259-6872
(10:00~21:00 定休日なし)

お知らせいただいた個人情報について
当店は石川県公安委員会より正式に古物販売の許可を得ていますので、お客様の大切な楽器をお預かりしたうえで、安全に販売することが可能です。
古物商許可番号 石川県公安委員会 第511010008228号

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