オリンピックに寄せて・・・
こんにちは、スタッフのヨシダです。
オリンピックが佳境を迎えています。
どんなに苦しいトレーニングを積んできたのか知らないくせに、クーラーの効いている部屋で、好き勝手言っている自分がいます。
そして、ピティナ。
ピアノコンペティション北陸本選が終わりました。
全国決勝大会出場を目指していながら、それがかなう人は極僅かです。
ピアノは競技ではありませんが、選抜された人は、音楽を深く学び、それを完成させるために正しい方向に効率よく手を抜かない練習を重ねられた方、というふうに推察されます。
●今年の2月のピティナ・ピアノステップのプログラムに書いた挨拶文より●
“又吉じゃない方”と言われながらも独特の存在感がある平成27年度上半期芥川賞を受賞された作家・羽田圭介さんが、テレビ番組である自著のテーマについて以下のようなことをおっしゃっていました。
~本質的な快楽というのは自分が能動的に何かをしてやり遂げた際にしか味わえない。
例えば、美味しいものを高いお金を払って食べるというのと快楽は違う。何かを一所懸命にやるというのは苦しさが付きまとう。苦しさが好きなわけではないが、必死になって、苦しいけれどやり遂げることこそ、究極の快楽だと思う~
極端な話になりますが、某時代某国の王様のように、働くことなく贅沢な生活ができても、当人はなにかしら心の中に満たされないものを感じているのではないかと推察します。
一方、ごく稀にですが、“『音が苦』ではなく『音楽』”というフレーズを見たり聞いたりすることがあります。
まるで楽しくピアノが上達する魔法のような練習法があるかのように・・・。でも勘違いしてほしくないのは、音楽と練習は別物だということです。効率の高い練習で上達を実感することが楽しく感じられることはあっても、練習そのものが楽しいということはありません。
「オリンピックを楽しんできます」と言って出発するアスリートも、楽しい練習をしているわけではないのです。
音楽は楽しい、でも、それを創るための練習が孤独や怠惰との戦いなのは古今東西仕方のない事。羽田さんの言葉を借りればそれらと対峙して昇華した時にはじめて充実と快楽を得ることができます。